さかい引越しセンタークレーム対応が素晴らしいーご近所の小学3年のお嬢様と一緒に植えた水仙が・・・


3月7日、湯河原の日の出06:05
日の出時刻が早くなりました。
家を出るのも早くしなくては日の出の瞬間を浜で見ることが出来なくなるゥ。

アレ!
耳を澄ませてもう一度、
やはり、
鶯の初鳴きだ!
日の出ゴミ拾いフク拾いで浜に出る途中の小道で聴きました。

昨日は、さかい引越センター様の対応に爽やかさと希望をいただきました。
有難うございます。

さかい引越センター様の対応のことを友達にお知らせすると、
「願いが通じたんですね、嬉しいですね。
キチンとお話しを聞いて下さったんですね。
それなら、又違う意味で会社を応援して行きたいと思います。
良かった、私の中の思い描いていた会社で良かった。今後はどんな物でも、命の大切さを大事に行動出来る人が増えて行って欲しいと思いますね。この世界は、愛で繋がって居るからです。」と嬉しいメッセージを頂きました。

おりしも、今朝の鎌倉円覚寺の横田管長さまの「今日の言葉」を拝聴させていただき、めったに涙を流さない私ですが涙流しました。

 お話のなかにでてくるその奥様は、ご主人さまが交通事故になり16年間植物人間になったご主人さまを支えてきて、加害者の会社の社長様も16年間、欠かさずお見舞いに行かれているという。
 折しも、東北大震災11年目の3.11の日が近づいてきました。最近、テレビで11年目の思いを語っているのを観るに連れ、長い間の苦しみをおもうと涙が出ます。

 起きる出来事というのは無味無臭、無色透明なのだ。それにどうやって色づけしたり、味つけしたりするかは自分次第ですよ」というお話です。
https://www.youtube.com/watch?v=68tPavg94E0

17条憲法第10条に出てくるところに当たります。

 

3日前の事でした。
えー!!!!
ありえない!!!
球根で植えたばかりの水仙が芽が出て、健気に小さな花も咲いているところに!
その花の上に段ボールを引いたその上に引越しのトラックからおろした荷物が乗っているのではありませんか。!!!!

この花は、小学3年のお嬢様と一緒に球根と球根用の土を買に行くところから始まりました。
冬の一番寒ときに白と黄色の水仙の球根を10個、子どもと一緒に植えました。
植物に声をかけると喜ぶと言われます。
毎朝、日の出ゴミ拾いフクヒロイに出るときに水仙に声をかけてました。
今年植えて、来年咲くと思っていましたが、土すれすれに黄色の花を咲かせました。
花のいじらしさを見た思いでした。

その水仙の花は押しつぶされてました。
芽が出そうになっていた水仙も押しつぶされて折れていました。

運送屋さんは「スミマセン」と言うが詫びれた様子はないです。
会社の指導でただ、スミマセンと言えば良いと思っているかのようです。
悲しかったです。

でも、考えてみると運送屋さんが悪いのではないと。
できた事柄は私の問題だと考えました。
買ったときに付いていた花の名前が書いてあるプラの札を球根のそばにそれぞれ立てたのですが、それでもわかりにくかったのでしょう。
「小さな柵」を立てればよかったかなともおもいました。

運送屋さんだけが悪いのではないとおもう。
抗議?
とんでもない!
クレームを言う気持ちでなく、
”次の人も悲しい思いをするのは忍びない”
花にも、人にも、こころ通い合う関係として、本社クレーム受付に電話しました。

電話してから2時間後でした。
白いワイシャツに磨かれた革靴を履いてビジネススタイルで、
球根と球根用の土を持って植えにきてくれました。
ゴム引きの軍手をはめて、10個の球根を植えてくれました。
植え終えて、一緒に水撒きました。
水撒きをしてくれるサカイの社員さんに、私は「ありがとう」「ありがとう」。
有難うを10回以上私は声に出してました。
彼は、ふふふと笑い声がもれました。
いい笑顔で帰られました。
私は丁寧にお辞儀して見送りました。

人と人とのお付き合いをさせていただき、爽やかさと希望をいただきました。
有難うございます。

サカイ引越センターのクレーム完全ガイド|ベストな連絡先と苦情テンプレ集

7世紀初頭の聖徳太子によって作られたとされる「17条憲法」の
第十条は、
忿を絶ち瞋を棄て人の違ふを怒らざれ……。
「こころいかりをたちおもていかりをすてひとのたがふをおこらざれ……。」
訳文「心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。人の心はさまざまでお互いに相譲れないものをもっている。相手がよいと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思うことがあるものだ。自分が聖人で相手が愚人だと決まっているわけではない。
 ともに凡夫なのだ。
 是非の理をだれが定めることができよう。お互いに賢人でもあり、愚人でもあるのは、端のない鐶(リング)のようなものだ。それゆえ、相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。自分ひとりが、そのほうが正しいと思っても、衆人の意見を尊重し、その行うところに従うがよい。」

 また、近代以降においても、松下幸之助が、日本人は、「和と貴び、平和を愛し、お互いに仲良くしあって行こうとする国民」であり、会社経営においても社員の知恵を尊重し、助け合おうといった「和の精神」が大事であると述べている。
 なお、「和」には、調和と強調のみならず、身分を問わず広く議論して決めるという意味も含まれており、こうした考え方は、7世紀初頭の聖徳太子によって作られたとされる「17条憲法」や、1867年に明治政府によって出された「五箇条御誓文」にも見られる。