原田裕子さま

念願の人にようやくお会いすることができました。マザーテレサのような方でした。
彼女とは一度もお会いすることがなかったのですがブエノスに行っている時、彼女はFBにいつも応援メッセージを書いてくださりどれだけ励ましを頂いたか計り知れないほど。「ありがとうございます」改めてお礼を申し上げます。
ブエノスから日本に戻った時、「会えますか」とメッセージを出すと「会えるときに会えますから」の応答でした。あれから10ヶ月経ちました。機が熟すというのでしょうか。今このときに出会えたからこそ見えたものがあります。”必要なときに必然的に”ですね。
 裕子様からのメッセージをいただきました。
「マザーテレサはいくら何でも褒め過ぎでは!庭子さんの事、詳しくは何も知らなかったけれど、美人さんであることと、ブエノスでの、並々ならぬ行動に惹かれました。それ、裏付けするように、現れ方が、奇抜。ミロンガに来て下さるために、湯河原を何時に出られたかわからないけれど、道を歩いていた私に電話が来たときは、もう横浜の最寄り駅。駅から続くエレベーターの扉の前で初めてのアブラッソとなりました。最近、出版された「庭子ブエノスひとり旅」読ませていただきました。これがまたエネルギー溢れる彼女の人生の、旅、物語。面白~い。」

 裕子様へ、以前マザーテレサが日本に来たときお世話した人からおはなしを聞いたことがあります。「マザーテレサの凄いところは相手にキッチリ向き合う」ところだと。裕子先生の思いやり気遣いが心に沁みました。
私は何か一本抜けてますね。ブエノスでは「天空のひと」と言われました(╹◡╹)

 庭子さ~ん、どこか抜けててくださ~い。美しいものは,危弱で、どこか欠けてる。それにしても、ラテンの人は言い方しゃれてるね。

裕子様  「どこか抜けててくださ~い。美しいものは,危弱で、どこか欠けてる」 その言葉を頂いてホッとします。自分が自分でいられます。なぜかというと、自分では不器用に一所懸命に行きてきましたが、私の自意識過剰な面で多くの人に迷惑かけてきたなあと最近おもうのです。また、浅はかな自分に「バカなんです」と自称しています。そんな私が裕子様とメールのやり取りをして気づいたことがあります。
「庭子さんの中に、何か小さな国には収まり切れないエネルギーを感じて、惹かれて行った次第です! 」と言ってくださいました裕子様の原風景は中国大陸だと伺った。 原風景が大連など大陸に持っている方たちは何か違う大きさを感じます。 「そして私は…」と裕子先生が私の中にあるものを見たと言ってくれる。
そう言えば、亡くなった父は口癖のように「海は広いぜー」と言っていた。昔のことでインド洋に一年かかりでマグロをとりにとりに行っていた漁師でした。 突き動かされるエネルギーは大地であり大海原であり地球太陽かも!と今気がつきました。ありがとうございます 。
私の幼少青春時代は一年に一回しか帰ってこないから喧嘩するまもなかった。 そして父は老齢になり丘に上がってカッパになり余生を静かに終わりました。 海が荒れて身を海に投げ出されそうになることも度々あったと。海の仲間は海に投げ出されて死んだ仲間もいると。 私は父のこと他者に話す機会もなくこの歳まで生きていましたが裕子先生に内面の奥深いところを受容して頂きました。大きな宝物を見つけた思いです。
今日からまた新たな私に!
「そこにある現実は自分と海だけ!」 会いたい、会いたいと思っていた裕子先生に「今ここ!」必要な時に必然的に会えた!
マザーテレサ・裕子先生ありがとうございます。 私ごとで長くなり失礼しました。