母と娘の何げない会話

今年は「辛(かのと)」の年だと。辛いと書いて棒を横に一般引けば幸いとなる。辛いに右を足すと「新」となる。辛い時の中で新たな人生観を築く年でもあると。

私は浅草の人形屋さんで毎年その年の干支を1個づつ買い集めている。
今年は大阪のお友達が浅草でお参りしたと牛の宝玉がついた置物を買って贈ってきてくれた。

海外にいる娘に鶯の鳴き声の動画を送った。
「聞こえる!こちらはようやく鳥が帰ってきた。今日は少し暖かい」今度はお母さんが散歩している海の音の動画も送って欲しいとメッセージが来た。
 何気ないこういう会話ができることが嬉しい。
「〜が欲しい」と素直に言ってくれたこの言葉が嬉しくていそいそと今日は動画を撮り送った。
母と娘と当たり前の会話が当たり前でなくなり、長い時間交流ができず辛い時をすごしてきた。娘はお母さんを傷つけてしまうのが自分をさらに傷つけてしまう感情になるからしばらくは音信不通にして欲しいと言われたのだった。私は娘の気持ちに沿う事ができなかったようだ。

それ故に、氷山の一角が溶け出したように何気ない会話が娘とできるようになったのが至福の喜びである。
私が住む湯河原の浜辺の波の音を動画で送った。
「海の音を聴くとお母さんが生まれ育ったところを思い出します。でも湯河原の浜辺と海の音が違いますね」
「今頃は白木蓮が咲いているのでしょか。こっちには白木蓮がないけど昔お母さんと一緒に四国遍路したときに見たのをお覚えています」
湯河原で昨日見つけたミモザの花が満開でした。もう終わりに近づいてます。白木蓮もも満開でした。お遍路のときも白木蓮とミモザの花が咲いていたね。よく覚えているね。ミモザの花は私の大切なお友達が恋する男性にミモザをおねだりして頂いた樹が庭に植わっていてミモザに特別な思いがあるのを聞いているのでミモザの花を見ると彼女に思いを馳せます。

昨日は箱根の金時山をハイキングしました。富士山が見えました。春の富士山は霞んでいるのですが見れたのは幸運でした。
「平日に山登りできる悠々自適さがうらやましい」
いえいえ、悠々自適ではないわ。遠方より知り合いが見えたのでご案内したの。でも、大人の遠足ができて良い機会でした。もう30年前になるかしら市原さんと金時山を歩いたのを思い出しました。もう市原さんの顔も2年ほど私は見ていないが鰻の三味さんに車で見えたそうな。「元気だったよ」と聞きました。市原さんももういくつになったのかなあ。かれこれ90歳ぐらいではないかしら。市原さんの家系は長生きでお父様も元気に100歳まで生きて老衰されたと聞いたことがあるので市原さんも元気に長生きすると思うよ。
 私はこの間まで右腰と右足に強いしびれが出て全エネルギーを取られて寝てました。瞑想の仲間に養生の仕方など教えて頂き、教えていただいたことすべてやりました。それでほとんど治りましたので痛みの残りは金時山に置いてきました。(笑)それでもかなりの岩場で登りが辛かったです。下りは滑って転んでばかりいました。まだ足腰がしっかりしてなかったのでしょうね。

お友達がヘアーバンドを着物の留め袖で作ってくれました。写真を送りますね。
「お母さん、良い笑顔だよ」と娘の応答です。

私は心のなかで娘とたくさん話していて、メールのやりとりは短いですが、とにかくこんなふうに当たり前の会話ができることが嬉しいです。