おむすび物語


見ようによっては、3,40代を青年とは言い難いものですが、彼ら二人は青年の雰囲気があった。物静かに見つめる青年から内なるエネルギーが見えた。

一人住まいでリモートワークされている二人にご飯をたくさん炊いて大きなおむすびを🍙作り帰り際に持たせた。

そこで思い出すのは私の「おむすび物語」である。
その1.龍飛岬の民宿がその日は休日日でしたが他に宿がなくて懇願して泊めていただいた宿でした。翌朝お礼を述べて出るとき大きなおむすびを「じゃまにならないでしょうから」と持たせてくれました。弘前の公園でそのおむすびを開くと新鮮なイクラがたっぷりはいったおおむすびでした。忘れられません。

その2.四国巡礼していたときです。朝、民宿を出て遍路コースを外れて小さな港に立ち寄っていたときです。「貴女を探し回りました」やっとみつけてよかったと軽トラで探し回ったと。大きなおむすびを差し出してご接待ですと。私を探してまで持たせてくたおむすびです。忘れられません。

その3.私の家に泊まりに来た友だちと一緒に浜辺でお昼をしようとおむすびと夏みかんを持って海を眺めながら食べました。そのお友達は「あのおむすびの味は忘れれれません」と言ってくれた。
などなど、おむすび物語を頂いている私は事あるごとに「おむすび」をつくっている。

青年のようなお二人におむすびをつくるきっかけは~
前日の土曜は、伊豆急下田駅を集合場所にして東は九州から北は仙台からも来て、総勢30人ほどで海岸のゴミ拾いは福拾いでした。天気は快晴!。
翌日の日曜日は春の嵐!お彼岸の禊かな!?
観光組・雨の中のゴミ拾いしたい人一組でいくつかのグループに別れた。私は東京から車できたという30代の名前も「元気」さんの車に40歳の男性と一緒にのせて頂いた。


日米関係の基盤を作ったハリスが居た玉泉寺と吉田松陰の像を見た。
吉田松陰先生の像は日本精神の象徴と言われる日本刀を拝持して、米艦停泊せる下田湾を睨んでいた。その日の夜、日曜夜のNHKテレビ大河ドラマにジャストタイミングで出ていた。


(吉田松陰はこの海を睨みつけていたとおもう)

元気さんが湯河原まで送りますよの声に聞き間違えたかしらと「えっ、湯河原まで?!」と聞き直し、思いがけない申し出に甘んじた。
途中、お昼をどこかで~といっているうちにどんどん湯河原に近づいてきた。
何か食べたいものがありますか「味噌汁が食べたい」と元気さんがいった。
「味噌汁ねー」
では、私の家で味噌汁と温かいご飯で簡単に食べますか?!
よろこんで!となった。
家について急ぎお米を研ぎ、トーフの味噌汁とちりめんじゃことふき味噌で朝食のような昼食でしたが、何よりも喜んでくれたのが嬉しかった。
私はいつも一人で「おいしいね」といえる相手もなしでつまらないです。今日は青年たちと一緒に「楽しいな・うれしいな」の時間になった。
そして、爽やかに雰囲気を残して彼らは東京に車を走らせた。

「蕗味噌おにぎりも本当に有難うございます!
夜食に美味しく頂いております。おじゃまさせて頂き光栄です☺️またゆっくりお話出来るのを楽しみにしております!」と、お礼のメールが届いた。

月曜の朝、山道をウォーキングしているとフキとヨモギがイキイキとしているのを見た。
春ですね。