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ミラクルエイジファッションショー・・・ガウチョの文化
ミラクルエイジファッションショー・・・ガウチョの文化
2019-06-25
2019-08-07
■ 庭子の部屋Hbitación de Teiko
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アルゼンチンArgentina
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「好きな曲ありますか」
とGYU先生から、尋ねられてました。
なにせタンゴ歴2年です。わからないですがあえていうならば5月12日に開催されたノーチェロ・ソイ主催の「アルゼンチンタンゴのつどい」で聴いたHORACIO SALGAN のRECUERDO(想い出)や、A FUEGO LENTO(とろ火)が印象に残ってますと申しました。
「
RECUERDO
いいね。SALGANじゃないが1967年演奏のTOLIOでいきましょう」とデモ曲が決まりました。
「ミラクルエイジファッションショー」のデモにと声かけられたのは発表当日の3週間前でした。久しぶりで銀座に出たついでにタンゲーラのミロンガに寄りました。
「あっ、庭子さんがいた。どおですか」
「えっ!えっ!」
ひょいとした話でした。思うに、私は72歳のシルバーで「ミラクルエイジ・・・」に丁度グッドタイミングだったかも。
グッドタイミングに乗りました。私は来た話はわからないまでも出来ないまでも受けてしまうおバカなタイプのようで周りもびっくりされることが多いです。 東京まで出るのに家を出てからスタジオに入るまで3時間はかかりますのでそんなに東京に出てこれなないし、ちょうどバタバタしているのでどうみても練習は5回ぐらいしか出来ないですが良いですか。GYU先生の寛大さで5回のレッスンでデモに出たのでした。
2回ステージを務めフィナーレも終えたとき、今回の舞台監督を努めた現役モデルの大形登子さんが「タンゴを踊る姿を見て2回とも涙がでました。背中から伝わってくるものがありました」と感動したことを伝えてくれました。
今回のデモは歌なしのトロイロの
RECUERDO
ですが、港のそばのカフェで、遠く過ぎ去った青春時代の恋を回想するという歌詞がついていて実際にプグリエーセが作曲したのは若干18歳のときだったという曲です。私は青春時代の恋を回想する余裕はなかったですが、せめて胸に花を咲かせる意識を持ちました。
しかし、出来なくてGYU先生を手こずらせましたので、「感動した」の声を頂いて少しホッとしました。
GYU先生もRECUERDOのような曲は、まだ40代では表現が出来ないといってましたので下手な下手なりに、背中から72歳という年齢の厚みや品格があるか分かりませんが何かが伝わったならば嬉しいです。
昨年の2018年7月20日からブエノスに入って、一人旅、90日間を体験しました。
英語は「聞くだけ・聞き流しCD」で1年間頑張ったがダメ、スペイン語はスカイプでやはり1年間ほぼ毎日のように頑張ったがゼロに近い状態です。
まるでサバイバルです。
フェイスブックを見た日本の方が「庭子さあああああん、〇〇さんに会いに行きなさい」などと知らせてくださったりと天使がおりたように助けられました。ブエノスの人は思いがけなく良いことがあると「天使がおりた。(SUERTE)」と言うそうです。
ブエノスは怖いところのイメージが強いので1人で出かけるのはかなり緊張します。そんななかの7月28日、イタリア広場で1年に1回の「農牧展RURAL」があるから行かれると良いと聞いたので恐る恐る出かけました。
沢山の牛がいました。パンパス地方の特産品も興味深いものが多く出ていました。
でも、今でも鮮明に印象深く残っているのはガウチョの姿です。
ガウチョの姿を見て「写真を撮らせていただけますか」とジェスチャーを交えて言うとニコリともせずリップサービスもなし、すぐには返事をせず間があって黙ってカメラの方に向いてくださいました。
ため息が出るほどにかっこいいです。
重厚さと品格があります。頑固なまでに何ものにも動じない精神を見た思いです。
「ギターとナイフ」ガウチョの象徴を表す言葉と知りました。
、歴史を垣間見ると、ガウチョはアルゼンチン人のアイデンティティに深く関わっているようで「誇り高く、寛大で自己犠牲を自己犠牲を惜しまない人」という意味だそうで、『ガウチョの言葉=武士の一言』という日本における武士道的なものがつながっているようです。アルゼンチンタンゴの名曲にも「ガウチョの嘆き」があります。
アルゼンチンの草原地帯に生まれてガウチョの文化は、後に「南米のパリ」と呼ばれるようになるブエノスに暮らす洗練されたヨーロッパ系白人の文化とは全く異なるもので、バンパスのガウチョは、「ポンチョをまとい、ギターを奏で、ナイフを操り、乗馬の達人で、独自に発達した社交儀礼で仁義を切る。一つの等質的な生活文化を持つ集団」となっていった歴史を知りました。
このガウチョの背中に惚れ、パチンと撮りました。
ブエノスのミロンゲーロ・ミロンゲーラたちの姿にも背中から物語が。
今回、GYU先生から良い機会を頂きました。
刺激になりました。
年齢を重ねれば重ねる程に、味わいのあるタンゴを踊れるようになりたいと意欲がわきました。
タンゴという名の電車は、機関車に石炭をくべるがごとく赤い炎が出てくるようです。その赤い炎は、8月末にコロンビアにてスペイン語を習得することに向けます。機会を頂いたが今度も一人旅です。コロンビアでタンゴの出合いもありますように。幸運でありますように。
一人旅を慎重に頑張ってきます。帰ってくるのはたぶん、2月頃になるかと思います。
戻ってきましたらまたお導きくださいますようお願いします。
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2019-06-24
タンゴという名の電車
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佐原の香取神社・・・ガウチョと武士道