- 2019-08-15
- 2019-08-15
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コロンビアに行くときに
12ページで、名刺代わりになるものにとスペイン語で小冊子を作った。すごく良いものが出来たと思う。訳は大澤先生のご好意にすがった。編集と写真選択は湯河原写真連盟の方々が協力してくださった。お世話になった方々に報いるには「なんとしても結果を出さねば」の決意である。 この冊子でどんな出会いが?ドラマが?。 Mi historia personal Nací en 1948. Como […]
12ページで、名刺代わりになるものにとスペイン語で小冊子を作った。すごく良いものが出来たと思う。訳は大澤先生のご好意にすがった。編集と写真選択は湯河原写真連盟の方々が協力してくださった。お世話になった方々に報いるには「なんとしても結果を出さねば」の決意である。 この冊子でどんな出会いが?ドラマが?。 Mi historia personal Nací en 1948. Como […]
10年前のイッセイのものです。当時、このプリーツワンピースを着て鎌倉へ行った時でした。信号待ちしていると同じように信号待ちしている若者のグループが「かっこいいな」とうしろから声が入ってきました。ふふふ・ほほほ嬉しくなっ手信号をすっと渡ったのが思い出します。 「昔の名前で出てます」という感じですがね。
マグロとビーツのサラダ. 娘が帰省した。 記憶に残る料理を娘と一緒に。 遅くなったが娘の誕生祝いを兼ねて私の一番のお気に入りのレストランで食事する。ここの洋食屋さんは記憶に残る料理をだしてくれます。 今まで洋食を頂いた中でここが最高!と思ったレストランです。 小さなレストランですが最高のおもてなしで素材に拘ってシンプルに仕上げてあります。「う~ん、じわー、」私の中の細胞が喜んで幸せですと言っている […]
日本画・平松礼二「ジベルニーモネの池・夏」 あれは、 高度成長の真っただかだった。 私が命を燃やした会社は粉飾決済で倒産した。 二人の子どもは小学生だった。 どのようにしたら良いか泣いている間はなかった。 離婚することを選択したときは、 新聞配達してでも生活は出来るじゃないかと決断した。 あの時、 NHKの白熱授業でコロンビア大の教授が ”選択と決断”というテーマで興味深い話をした。 「あなたは朝 […]
在来線のグリーン車は私の勉強部屋です。 コーヒー代を節約してね。 スタバのような間隔で私の勉強部屋にしてます。 私はまだスペイン語はわからない。 「その中に身を置き、音を聞いているところから始まります」 と、ベテランの方々が言ってくれます。 それにしても、皆さんすごいなあ。 スペイン語のみの授業で「うん・うん」とうなずきながら聞いてます。 授業が終わると私は尋ねます。、 「要約するとどんな話でした […]
蓮池の杭に停まっているいる赤いトンボが見えますか?ここは、ジベルニーモネの池から平松礼二画伯に贈られ、湯河原町立美術館に寄贈された睡蓮の池です。 。日本画「睡蓮 赤とんぼ」平松礼二 最近、気づいたこと45歳の娘の行動と私の行動と矢張り似ていたこと。私の母にも繋がっていたこと。やはりなあ!当然といえば当然ですが、ある意味驚愕であった。「子どもはイツから教育されていますか」と、その昔、教授から質問を受 […]
亡くなられたかたのお返しに京都の永楽堂のお菓子が届きました。 掛川の志都呂焼きの夏茶碗で、 茶名”琥珀”をいただきます。 いみじくも昨日は広島の原爆投下の日です、 鎮魂。 捧げます。
夏になるとこのパナマ帽が活躍します。 麦わら帽子のつもりでかぶってますが、 40年間かぶり続けて痛みだしました。 このパナマ帽は買った時は「きれいな水色だったのよ」と いうと皆さんビックリするのです。長年使い続けてだんだんいいろが抜けてきて自然の元の色に帰りました。その昔死体を土蔵にいていたとき、長い時間かけて土になっていたようなものでパナマも自然に帰ったのでしょう。 専門の帽子屋さんのご主人さま […]