nenufarモネの睡蓮を眺めながら・・・


蓮池の杭に停まっているいる赤いトンボが見えますか?
ここは、ジベルニーモネの池から平松礼二画伯に贈られ、
湯河原町立美術館に寄贈された睡蓮の池です。



日本画「睡蓮 赤とんぼ」平松礼二

最近、気づいたこと
45歳の娘の行動と私の行動と矢張り似ていたこと。
私の母にも繋がっていたこと。
やはりなあ!
当然といえば当然ですが、ある意味驚愕であった。
「子どもはイツから教育されていますか」
と、
その昔、教授から質問を受けたことが会った。
私は赤ちゃんがお腹の中にいるときから
と答えた。
正解は
親3代から、教育されているという。
そうかあ。そういえばそうだよね。
たとえば、親3代前からのお医者さまの家の方は品格がありますよね。

私が小学生5年生のときの話である。
友達がそろばん塾に行くという。お母さんが頼んできたという。
私も一緒に頼んでほしいと友達のお母さんにお願いした。
母にはそろばん塾頼んできたからお月謝代を払ってほしいと言った。
子どもながら事後報告だった。

35年前の話ですが、私は母に相談せず離婚した。
母は泣いた。
小笠原諸島がまだアメリカ領土のとき、
漁師である父が乗っていた漁船が拿捕されたと電報が入った。
子供心に心配したが、母は一言もその事に触れなかった。
いつもと変わらぬ毎日を淡々と過ごしたように見えた。

娘からの相談はなかったが、OL7年から大転換の看護師になった。
地元で看護師をするのか?どうかなあと私なりにどうするかと思っていたが、
すでに、東京の大学病院でと決めていた。
今もなにか国家試験受けているという。
湯河原花火大会があるからいらっしゃいよと娘に声をかけると、
土曜・日曜は授業があるから行けないといった。

過去形で話が入る家系だ。
昨年、私がブエノスアイレスに行くときも
飛行機のチケットも宿も取り、ある程度旅支度が整ってから
「私のワガママ許してください」と娘にメールをすると、
「なんら反対する理由はなし」と返事が帰ってきた。
ブエノスで90日間体験して帰国。
成田についたときに、
娘に「成田無事到着」とメールすると、
「次行くときは安全な国にしてよね」と返ってきた。
その一言で、娘がどんなに心配していた痛いほどわかった。
こんどは9月からコロンビアに私は行くことにした。
まだ飛行機のチケットも取ってない段階で早めに娘に連絡した。
「そこは安全な国?」とメールがきた。