日本画・平松礼二「ジベルニーモネの池・夏」
あれは、
高度成長の真っただかだった。
私が命を燃やした会社は粉飾決済で倒産した。
二人の子どもは小学生だった。
どのようにしたら良いか泣いている間はなかった。
離婚することを選択したときは、
新聞配達してでも生活は出来るじゃないかと決断した。
あの時、
NHKの白熱授業でコロンビア大の教授が
”選択と決断”というテーマで興味深い話をした。
「あなたは朝起きてから寝るまでに何回選択と決断しましたか」
と冒頭で始まった。
イツでも選択できる訓練が必要だということを参加者を実験して進めた授業だった。
後に”選択と決断”をテーマで月刊誌「育てる」(発行:財団法人育てる)に寄稿したことがある。平成24年度に1年間の寄稿を頼まれて書いた。
明日からどうして生きていこうか。
子どもを抱えて泣いてなんかいられない。
急を要するのだ。
そうだ!
鯵の開きエオを売りに行こう!
母は魚屋をしていたから母に頼んでアジの開きやしらすを仕入れしてもらって
甲州街道に売りに行こう!
他人には思いつきのように見えるが、
思いつきは選択と決断なのだ。
母に仕入れを頼みにいくとすでに時遅し、母は市場の権利も捨てて魚屋をやめていた。なぜ魚屋をやめてしまったのかをいつか書きたいと思う。
干物を作っている加工場に行き母の名前を言って仕入れさせて頂いた。
魚を売りに行った先は、山梨県大月市初狩街を通る甲州街道。
なぜそこに?
生きていることがたまらなく辛くなると、
大月市初狩にある曹洞宗の坐禅寺に行った。
なぜ大月市の山の上の禅寺にと問われると、
その前に鎌倉の別名竹寺に坐禅をしに行っていたのです。
接心もさせて頂いた。
「イツでも座禅できるところはないですか」と伺ったところ、
「あるよ」と、
山梨県大月市の坐禅寺を教えてくださったのだ。
はじめて大月市初狩町の禅寺にいったとき、
お坊さんとフランス人でソロボンヌ大学をでてから修行され「浄心」と名前を頂いたかたが
「今から托鉢にいってきます。あなたはゆっくりされと良いでしょう」
私は少し様子を見ていた。
そして恐る恐る尋ねた。
「あのー、私も連れて行って欲しいです」
「あー、行くかね」
この家に災いが無くなり、幸せが訪れますようにという短いお経を手のひらに乗るほどの小さな紙に書いた。
夏の絽の着物をかりて靴は運動靴で甲州街道を歩いた。
坊さんがそのお家の前で「チン」と鳴らすと私も急いで「チン」と鳴らした。
そんなことで山梨県大月市初狩のところの甲州街道に少し馴染んでいたのだ。
あそこに静岡から来た魚やデスと売りに行こう。
ためしてみよう。試すことから始まると言い聞かせて。
まずレンタカーを借りた。
高速道路をしらすとアジの開きを持って走らせた。
あれは12月初旬だった。
良い出会いを頂いておかげですぐに売れた。
ありがたい。
ではこれで生活が成り立つかと言うと
母は、アジの開き一枚5円のもうけでシンドイと言っていたもんね。
無理だと結論を出した。
アジの開きとしらすを買って頂いたそのあしで山の上にある禅寺に行きたいというと、その車では山を走らせるのは無理でしょう。送っていきますよ。
ご厚意をいただいた。
坐禅をして1泊して家に帰り着くと、
10年ぶりに大阪の知り合いから電話があった。
「どないしてはるう」
「うん、打ちひしがれているわ」と頭を垂れながら言うと、
「あなたにはいい仕事をもっているじゃないの」
「えー!私なにかいい仕事できるのがあるのかなあ」
無能だと思っていた私です。・
えー!
「社員教育の仕事あるじゃない」
えー!、となったが、
社員教育の仕事で10年間食べさせて頂いた。
お陰様です。
そしてパブルが弾けて、私の仕事が激減した。
どうして生きていこう!
またもや奈落の底に突き落とされたような・・・路頭に迷う。