Colombia dia 39.Tifón y té de coca

La mañana del dia 39 en Colmbia.
ome una foto por favor.
写真は私を助けてくれたアンドレア先生と学校の大きな世界地図の前で写していただいた。もう一枚の写真はコカ茶の葉でレモンを絞って入れて飲むととても美味しい。

日本の大型台風のことコロンビアのテレビで少しだけニュースで流れた。
静岡地方の方のFBを見ると静岡地方は台風一過となったよう。関東も無事に通り過ぎるように祈る。と書いているうちに台風は無事に通り過ぎたようだ。よかった!

コロンビアは今日からフェステバルで土曜から月曜まで3日間休みとなった。
学校の先生も学んでいる仲間もMedellinに行ってサルサなどのコロンビアのダンスを踊りまくり、食べたり映画も無料になりすべてが無料か安くなる3日間のようで観光をしてくると。
Medellin(メディジン)は日本でいうと東京と大阪ほどに離れている。交通機関は長距離バスか飛行機だ。
「地球の歩き方」を読むと2015年11月現在、ボゴタの中心部とメディジン市を省く以外は渡航中止勧告が出ていると書かれていた。2019年の現在はだいぶ落ち着いて来ているようだ。だが、大きな勢力は押されられたが大きな勢力が分散して小さな衝突があるようだ。
私がコロンビアに行くと言った時、100人中100人が「ものすごく危険」なところだと言った。だが、ひとりとして止める人はいなかった。娘すらも「渡航中止勧告が出ている国だよ」とメールが来たが止めはしなかった。私を尊重してくれたのだと受け止めた。タンゴのマチルダさんを通して多くのタンゴ仲間とつながりをいただき、身内のようにしてお声かけていただいた。また、日本のコロンビア大使館に行くと良いと職員さんを紹介してくれた方もいた。日本のコロンビア大使館に行ってコロンビアの学校のことも情報もらって、おかげで良い学校のも入れた。みなさんの応援を頂いて、無事に日本に帰ってこれますようにと祈りとした。
緊張してボゴタに入った。
南米の中でもコロンビアは特に危険というイメージがある。現地に入って様子を聞いて分かったことは、街によってエリアによっておおきくことなるとのこと。
コロンビアの生活レベルは1~6まではっきりと別れている。沿岸地域から山に向かって番号が大きくなり生活レベルがあがる。
私はAibubで探して学校の近くで学校からアパートまで歩いて13分のところで、call74の番地でで生活レベルは5。
家賃は月12万円だったところ学校の先生がオーナーに直接電話して交渉して35%引きに。ホテルを兼ねたアポートである。 家賃がちと高いのでう~ん?だったが安全第一でスーパーが近くにあるを決め手とした。セキュリティもしっかりしている。嬉しいことにフロントのスタッフがニッコリしてドアをあけてくれる。学校に行く朝もニッコリして「Benos dias,¡」「Felig dia!とか、¡Buen dia!」(幸せな日で!とか良い日で!)などと必ず声をかけてくれる。
 アパートを挟んだ道の横は2重の樹々に囲まれたとても広い優雅な学校がある。大統領の息子も通っている学校だと。近くには大統領が好んでいるというレストランもある。へえ!目が丸くなる。一度は入ってみたいな。週末のランチがお得だと。ピカピカに磨きがかかった靴を履いている紳士も多く歩いている。高いヒール履いて素敵なスーツを着て歩いている女性もいる。
一方で、路上生活者もいる。路上で露店を出している。日本でいうと戦後の復興期の時期だと聞いた。学校の先生と一緒に学校の近くを歩いた時、スマホの翻訳機を使うために手元に出したら「すぐにしまいなさい」しっかりチャックして隠しなさいと注意してくれた。比較的安心な地域だが気を緩めることは厳禁だということ。昼間は比較的安全だが夜6時以降は歩かないほうがとも。

 La mañana del dia 39 en Colmbia.
今日はコロンビアの首都Bogotaに入って39日目の朝を迎えた。

2日前のことは学びと感謝である。
その日の9時、プライベート授業が新たに始まった初日。
授業が始まると同時に、急に息をするのが苦しくなり吐き気がしてきた。窓を開けて空気を吸ったり、水を飲んだりしたが。
「授業を止めますか」と先生は私に問いかけた。
「続けます」
決断に一瞬迷ったが、授業が始まったばかりだしと心のなかで思い苦しげに「続けます」と答えた。そのあとも呼吸するのが苦しく吐き気がきた。机に伏せたり、胸をさすったり。
そんな私を先生は知らぬ顔して授業を続けた。私が「続けます」と答えたからだろうな。
55分の授業を終えたとき先生は改めて「帰るか?授業を続けるか?」問いかけた。私は「帰ります」と答えた。
この後の学校の対応に感動した。
職員室に入って「帰ります」と、吐き気がすることと呼吸困難なことをジェスチャーで伝えた。職員さんは医者を呼ぶかと聞かれたが家に帰って静かにしていれば良いと思う。また日本の薬を飲むと答えた。

和漢薬・宇津救命丸など、使う事ないだろうがと思いながら家に買い置きであったので持ってきていたのだ。
後日、日本人で40年ほどコロンビアに在住しているという人に私の症状を話すと、「当たり前です。なにしろここは2600メートルの高地は身体に負担がかかるのは当たり前。まして年齢に負担がかかっています。丁度1ヶ月が経過して疲れが出てきて当たり前です」と言われ「そうかあ」であった。サルサなどのダンスはもってのほかだったのだ。納得。
水をこまめに取り、しばらくは静かにして体に負担がかからないようにして日々を過ごすことを心がけよう。

職員さんは医者に行かなくともよいかと尋ね、家で休みますと言うと、私の荷物を持ってくれた。パソコンと本とノートが入った多く重い赤いリュック(una maleta rojo)と、寒くなったときの用心にロングのダウンコートと、雨が午後に毎日のように降ってくる雨季の季節の用心に合羽と傘を入れたずた袋の手荷物を私の代わりに持ってアパートまで送ってくれた。歩くのも大変だったのでゆっくり歩く私に歩調を合わせて学校までの道のり歩いて13分を寄り添ってくれた。
「何かあったらすぐに電話ください」と。

andorea先生からは,
「Hola ¿cómo estás de salud?¿Nece sitas algo?」
「Gracias por tu amabilidad」
「調子はどお?なにか必要なことある?」
「ありがとう。あなたの優しいお心に感謝です」と翻訳機で調べて返事をかいた。上手く伝わったかはわからない。
翌日、学校にゆっくりあるいて出るとandorea先生が、頭の痛い時にとても良く聞くとté de coca(コカ茶)を教えてくれた。どこに売っているかと尋ねると言葉の端々に薬屋さんのことを言っているようだ。
授業が終わってから薬やさんに買いに行くと「それはスーパーに売っている」という。夜に「薬屋さんに買いに行ったところ薬やさんで手に入れることはできなかった」というようなことを翻訳機で訳してメッセージした。
すると、「yo tengo té en mi casa mañna yo llevo el té para ti」(家にあるから、明日持っていきますよ)と、メッセージが入った。
翌日、持ってきてくれた。
コカ茶の入れ方は少しのお茶の葉をカップに入れて熱いお湯をいれる。レモンなどを絞っていれると更に美味しいと。
muy muy linda.
muy muymuy bueno.
と力説した。
ほんとだ。言われたようにして飲んだら頭の痛いのが消えた。

30歳というandorea先生がご親切にしていただいたこと、私は忘れないだろう。 andorea先生は前回は私がスマホをなくしたと消沈した時も「私はあなたを助ける」とパソコンに打ち込んで日本語に変換して私に見せた。そして私の家まで来てくれた。リュックもずた袋も洋服のポケットを見たがそのときには見つけられずに学校に飛び込んだのだった。
そこに居合わせたandorea先生が家まで来て私のパソコンで探そうとした時に私は着ているものその時の持ち物を再現して見せてリュックのポケットもヒックリ返してみたら「あったあ!」リュックのポケットの底に入っていたのだった。
アンドリア先生は「tranquila」・「tranquila」と、何度も言った。
ゆっくり休んでくださいと言って帰られたときのアンドリア先生で今度もアンドリア先生に助けていただいた。

前回、感謝の気持でお寿司を作って持っていったが、またお寿司を作って持っていこう。ほんとにうれしい。
「あーすればよいよ、こーすればよいよ」とアドバイスをしてくれても戸惑うばかり。手を貸してくる人はなかなかいない。そのなかで手を貸してくれる人には神様のように感じるのである。心より感謝である。

Bogotú está muy alto 2600,Hoy poco oxígeno.
Por eso,estaba mala,pero estoy más o menos.
ボゴタは高地(2600㍍)です。酸素が少しだけ。
だから調子が悪かったけれど、もうだいたい良いです。

Me siento cansada por la altitud.Tran quilo.

う~ん!長い文章になりました。
3日間連休の始まりです。