その4- コロンビアは3月20日に外出禁止令発令―
コロナの非常事態発生直前の17日に観光した場所は、南米の英雄シモン・ボリーバルの銅像が立っている広場に立ち寄りました。
1810年7月20日、コロンビアの首都ボゴタ中心部の、現在ボリーバル広場となっている場所で、スペインからの独立宣言がなされました。 独立宣言以降、南米の英雄シモン・ボリーバルを中心にスペインと9年戦い、1819年8月7日の「ボヤカの戦い」に勝利し、完全な独立を果たします。その期間に亡くなった方は15万人(当時のコロンビアの人口は130万人)と言われています。
コロンビアの国旗は黄、青、赤の三色旗ですが、黄はこの土地に存在すると信じられてきた黄金郷伝説にちなみ、青はカリブ海と太平洋に面しぼた南米唯一の国であることを示し、赤は独立戦争で流された血を意味します。
その後もコロンビアでは、50年に及ぶゲリラとの内戦で22万人の犠牲者と700万人の国内避難民を出しています。
私がコロンビアに行くことを知らせると、100人中100人といいますか誰もが「危険な国にどうして?」でした。
1月16日、そんなイメージで緊張してコロンビアに入りました。
しかし実際来てみると、危険地域に行かなければ比較的安全で、人も親切で果物も美味しい国です。
危険はむしろ交通事故に気をつけなければと思ってます。
この国は自転車王国です。自転車を奨励していて土曜と日曜は主要道路の片側は自転車道になります。ボゴタは地下鉄がなくバス専用の道路があります。道路は常に慢性渋滞です。奇数と偶数の車のナンバープレートによって走って良い曜日が決められています。1月○日は自家用車は一切走ってはいけない日でした。環境に優しい日だと。走っているのはタクシーとバスと配達の車だけです。この日は互いに車のクラクションを鳴らして走る車もなく、排気ガスを撒き散らす車もなく空気もきれいで静かな日でした。
私が住まいとしているところはチャピネロ地区といい大学はじめ幼稚園から各種学校などが集まっている地域です。学生の自転車は怖いほどの勢いで走ってます。歩道と自転車道があってないようなもの。歩道はボコボコなので足元を取られないようにしながら、塀とか家の壁に近いところを歩きます。それでもぼけーとして歩道の半ばを歩いていると自転車の人が走りながら肩を押してきます。「危ない!」もっと避けてくれという意味かと。
自動車もすごい勢いで走ってます。信号があってないようなもの。信号が赤でも人は急ぎ渡っています。私としてはどこに信号があるのかわからないのです。だから人が渡る時をみて一緒に渡るようにしてますが怖いです。こちらの人は小さいころから危険を察知する能力を身につけているかと思いますが、日本で育った私は整備された信号機や整備された道路・歩道など守られて生きてきましたから、のほほんとして危険を察知する能力もなしなんですよね。
人はとても親切です。でも、「人を信じてはダメです」と教えてくれたのはダラスからの乗り換えでボゴタ行きの飛行機に乗ったときでした。隣の席の老夫妻は奥様はボゴタ生まれのボゴタ育ちでイタリア出身の彼と知り合ってイタリアに移住した彼らは久しぶりでボゴタの実家に帰るという人たちでした。「人を信じてはダメです」と現地の人にも言われました。
Iphoneのスマホは道路で出すと「あなたのスマホは道路でださないように」と先生と歩いている時に教えてくれました。値打ちのあるスマホは目ざとく見つけて人を倒しても盗っていくようです。デコボコの歩道に気をつけてすごい勢いで走ってくるくる車に気をつけて、人にも気をつけるようにして疑ってみますが、でもやはり親切です。
後ろから男の声で私に呼びかけているようです。私は聴こえないふりしてました。声かけてきた男性は自転車に乗りながら何度も私に呼びかけます。ようやく恐恐振り返るとその男性は「あなたが背負っているリュックが開いている」ということをジェスチャー交えて注意してくれました。見ると私の赤いリュックのポケットのところのチャックが開いていたのでした。私はチャックを締めてリュックを胸の方にかけました。注意して呼びかけてくれた男性は「それがベストだ」というようなことを言われて安心したような顔で前を自転車で走っていきました。ありがとう。ありがとうです。
果物も安くて美味しくてマンゴーやパパイヤを日本の皆さんすみませんと思うほどに食べたい放題に贅沢に食べてます。
学校の先生も親切にしてくます。今は特に外出禁止令のときです。毎日のように「TEIKITTO元気ですか」とメールが来ます。私の名前のTEIKOをもじってかわいこちゃんというときにキットを最後につける言葉です。
マニキュアの店に入った時に隣の席でマニキュアを塗っていた彼女が「何色に決めたの」と声かけてくれたのがきっかけでお友達になったカロリーナは「あなたにコロンビアの文化と観光を知ってほしい」とボタニカ・ハルディン(大きな植物園)に案内してくれました。しかも私がホテル住まいしていた時でホテルからカロリーナの家まではバスでも1時間半もかかるところでボタニカ・ハルディンの近くでした。バスでわざわざ私を迎えに来てくれて案内してくれたのでした。わざわざ1時間半もかけて送り迎えしてくれたことに心揺さぶられるほどに感動しました。また、コロンビアの伝統料理にご招待していただいたり、コロンビアのノーベル賞作家のGABRIELGARCÏA MAÄRQUEZの本と童話の本をくださいました。
外出禁止令になってからはカロリーナからも毎日「元気ですか」「人に近づかないように」「食べ物はありますか」などメールで心配してくれます。
あっ、そうそう。マニキュアの話ですが男の人も手やツメの手入れをするんだとマニキュアの店で感心してみてました。カロリーナの恋人もカロリーナと一緒にツメの手入れと手の手入れをしてもらっていました。広い店内を見回すと奥の方では私と同じくらいのではないかという老夫妻も一緒に足の手入れと足のツメのマニキュアをしてもらっていました。日本に当てはめると農家のおじさんという感じでしたがね。私はマニキュアをしてもらいながら興味津々で店内を眺めていました。ちなみに値段は35,000ペソですから1100円程です。安かったが安い分、う~ん、下手でした。隣のカロリーナに仕上がった爪をみせてどう思いますかと聞きました。う~ん、とまずい顔しました。結局、翌日にもう一度やり直してもらいましたがやはり下手でした。マニュキアの話は2月です。まだ外出禁止令がでていない時の話です。