2.「捨てれば」。イエイエ捨てられません
3.75歳のわたしができること、命のバトン~引き継いてつないでいく
昔の人はみなそうしていたと思いますが、私の母も着古した着物でふとんを包む大型の風呂敷にしたり、着物の腰紐や雑巾などを作って使い切ってました。
この精神は「もったいない」とは違うな気がします。
100円ショップやユニクロのように手軽に買える価格も断捨離という言葉も出てきて、捨てることが美徳とされ、罪悪感がない昨今です。
日本は1万7千年まえの縄文時代から神から頂いたものという考えでリサイクルし最後は土に返してきました。私は伊勢神宮の稲刈りのボランティをさせていただいた時、刈り取った稲は縄にし最後は土に返して土の肥やしとしてきた長い歴史があり、ものにも人にも「恩返し」でいのちをつないできた話を伺いました。日本は昔からリサイクルで生活の場も清潔でした。母の時代までは、太陽に手を合わせるのと同じで当たり前の世界だったとおもうのです。
そして今、再びそのことに気づいた人々がそれぞれにサスティナブルの考えで、 「命のバトン」をつないでいること知りました。
ならば、75歳の私に
今できることは何か?そんなことを常々考え続けていました。
4. 閃いた!あばあちゃんの手縫いプロジェクト
先程も少し触れましたが、私は2019年9月から2020年8月末までコロンビア・ボゴタで生活していました。日本には「四十九日」という法事がありますが、日本と真反対のコロンビアから帰国すると気候・標高の大きな違いが身体に堪えました。身体が慣れるのに49日が境目でした。また1年間コロンビアに住むと気質までがコロンビア人ぽくなって、日本人でありながら日本人に戻るのに3ヶ月ほどかかりました。
年齢を考慮して、無理せず環境になれるのに身を任せました。
その間、眠っている絹の着物を解き絹のパジャマやインナーにしようと、
チクチクと手縫いで縫いました。
絹の滑らかな優しい肌さわりは、まるで猫をなでているような感覚です。
生地を無心に縫っていると瞑想しているような時間に、
至福な時間になっていたのでした。
そうだ!閃きました。
閃きは足元にありました。
閃きはやっていたことでした。
繭から糸にして縦糸と横糸を紡いで布に織り着物になったいのちです。それが現代の生活様式が変わり着物はタンスの中に眠っています。私はそのタンスの中に眠っている着物にアップサイクルして、再びいのちを吹き込み陽の目にあて、「命のバトン」を手渡してしていきたいとおもいました。
手でシクシクと縫うことが好きなおばあちゃまに声かけて一緒に作り、
私がバイヤーになっておばあちゃまが作った作品を
世界にサスティナブルな日本の着物の魅力を発信していく。
私は日本から持っていった着物を、巻きスカートやベストにアップサイクルして
コロンビアのご近所さんにプレゼントしたことがあり、
大変喜んでいただけました。
おばあちゃまたちの作品を私が売って、
おばあちゃまが手縫いで作った作品は
運営費等の手数料を引いた金額を支払う仕組みを作ります。
タンスの中で眠っている着物に命を吹き込むサスティナブルの考えです。
三方良しの考え方で喜んでもらう事業をすることで恩返しができると、
浜辺で太陽に手を合わせているときに閃きました。
5.手仕事こそ、人生百年時代のヒント
私を始め今は人生百年時代に戸惑っているのではとおもうのです。
亡くなった母が腹をくくったとき「それが因果よ」と潔く言ってました。大正・昭和初期に生まれたおばあちゃまたちは、戦後の自由民主主義に「それが因果よ」と受け入れてきたとおもうのです。子どもが結婚してやれやれで子どもの孫と少し遊んでいるうちに寿命になる時代ではなくなりました。以前から言われてはいましたが現実になると、いきなりという感じです。
人生百年時代に、神様が100歳まで生きろと言われたら生きてしまう時代です。
私の母は潔い人でした。魚屋をしていました。サラリーマンの長男から「もう歳だから辞めてくれ」の言葉に息子に迷惑はかけられないと潔く市場の権利も捨てました。
魚屋をしているときはにっこりほっこりした顔で女布袋さんのようだと、
私は惚れてました。
母は離れの部屋でボケないようにと雑巾など縫ってました。
でも、魚屋を閉めて2年もするとボケて、半年ほど嫁さんを困らせて亡くなりました。
人間は必要とされないようになるとボケてしまうのだなあと母を見ていて思いました。周りのおばあちゃまたちも、
家族に迷惑かけないようにボケないで元気に過ごせるようにと、
願掛け慈童にいったり、小さくなって生きている人を身近に見かけます。
もちろん、スポーツセンターに行きオシャレして、
芸術に旅行にお食事会にと勤しんでいる方も居るのも確かです。
私は考えました。
手仕事こそ百年時代のヒントに。
サスティナブルの考えで着物をアップサイクルして、
指先を使って縫って、お金になって、ひとさまが喜んでもらえる場を提供しする。
おばあちゃまたちが必要とされて
活き活きと楽しく生きられる場を作る
そんなプロジェクトを考えました。
6.先ずは、自分で縫ってみる
ネコのように冬暖かい。夏も涼しい。しかもゲドックスの効果もある絹です。
絹の肌さわりは幸せ気分です。
私の時代はお茶とお花と和裁が花嫁修業でした。私は勤め帰りに和裁学校に行き、結納から式まで間の1年間も和裁学校で1日中縫ってました。喪服まで一応縫いました。
小学校も中学校も家庭科の時間に運針の授業が有りました。
私はミシンは苦手ですが、運針はできます。
絹の長襦袢を解いて着物と同じように直線裁ちで四角と長四角をつなげて縫い、
裾とウェストにゴムを入れてパジャマのズボンをつくりました。
同じように四角と長四角をつなげて縫いブラウスになりました。