童話「ジャックと豆の木」を思い出しました。
後半のところを読むと、・・・そしてふしぎな豆が、ジャックの手にはいるようになったのも、ジャックをためすために、自分がはからってしたことだといって、
「あのとき、豆のはしごをみて、すぐとそのまま、どこまでものぼって行こうという気をおこしたのが、そもそもジャックの運のひらけるはじめだったのです。あれを、ただぼんやり、ふしぎだなあとおもってながめたなり、すぎてしまえば、とりかえっこした牝牛は、よし手にもどることがあるにしても、あなたたちは、あいかわらず貧乏でくらさなければならない。だから、豆の木のはしごをのぼったのが、とりもなおさず、幸運のはしごをのぼったわけなのだよ。」
と、こう妖女は、いいきかせて、ジャックにも、ジャックのおかあさんにもわかれて、かえって行きました。」お・わ・り。
思うに、今回のコロンビア行きはそもそも、私にとっては銀河鉄道でもある「タンゴという名の電車」に乗って走り出すと「スペイン語」という名の豆を見つけました。その豆を手にとってはしごを登りはじめました。
すると、「はしご」を支えてくれる人、手を差し伸べてくれる人が不思議と出会いました。
横浜のスペイン協会主催のスペイン語初級教室の先生は遠い存在でしたが、半期終了して先生を囲んで懇親会の会場に行く道を歩きながら「私、コロンビアに行くので後半は授業を受けられませんの」とご挨拶させていただいているとき、ふと閃いたのでした。そうだこの先生にコロンビアに発つ前にスペイン語の『文法』の基礎をプライベートで教えてもらうこができるだろうかと。閃きを即、声に出しました。恐る恐るでした。
「庭子さんのご希望に添えるように時間の調整しましょう」と言ってくださいました龍之介先生です。龍之介先生にプライベートで教えてもらってほんとに良かったと心底思いました。龍之介先生は私のはしごの話を知っていて「はしごをはすしませんよ」と言ってくれました。
新橋で月2回行われているノーチェル・ソイ主催のタンゴの歌教室にいつも行きたい行きたいと思いながら私の住まいの湯河原から出ていくにはちと遠すぎます。でもその日は品川区がパラリンピックの選手を受け入れて練習をされているところに氏ペイン語アカデミー出身が通訳している所を見学に行った足でタンゴの歌教室に行きました。
そこで出会ったのは品の良い初老の方でした。はじめましてと挨拶を交わし名刺を頂きました。名刺を見ると一流商社で中南米の駐在を長いことされて定年後はペルーの大学や日本の外語大でスペイン語の教鞭をされた後、翻訳のお仕事をされていることが名刺から読めました。私は名刺を両手で持って「私にスペイン語の『音』を教えていただけませんか」と気がつくと口から出てました。あとで話が出ましたが「誰の紹介もなしで教えて下さい」と言ったその姿が気にいったと。
大澤先生がお住まいのマンションを探しながら行き、ホールに入りセキュリティの番号4けたを押しているとエレベーターから出てきた女性がいきなりという感じで「あら-、庭子さん」「えー」見覚えがあるような。女性はゴミ袋を手に持って出しに来たところでした。女性はタンゴの歌を歌うヤスコさんでした。1年ぶりに偶然に会いましたがまるで隣さんがゴミ袋を出しに来て「あら-」といったごく自然な出会いでした。出会いはノーチェル・ソイ主催で演奏会がありそこでタンゴを歌われたヤスコさんという名前の方が私の胸に響き声掛けさせて頂いたことがあった。ただそれだけなのに「あらー」となったのです。大澤先生を初めて尋ねたその日にゴミ袋を持ってエレベーターから降りてきたヤスコさんに閃きを感じて即「タンゴの歌を歌えるようになりたいです」教えて頂けませんかとお願いしたのです。ヤスコ先生も急いでいらしたし私も大澤先生との約束の時間でしたので「あらー」から始まって立ち話1分ぐらいでお願いしてしまったのです。
タンゴのダンスや歌でお知り合いになりました方々からも力強い支えを頂きました。
娘と同じ名前のしょうこさんは「庭子さんは天より選ばれた人、コロンビアを選ばれたのはお見事です。天を味方に前に進んでください」天のはしごを登ってくださいと私は読みました。嬉しい言葉で勇気が出ます。謙虚に直感で「今、ここ」を大切にしたいと思いました。
Go forward としょうこさんから結びの言葉です。
こうして書いていると、「年齢を脱ぐ、冒険を着る」は決して1人では出来ないものだと。出会いがあってこそはしごを支えてくれる人・応援をしてくださる人がいてはじめて「年齢を脱ぐ、冒険を着る」につながりることを今回強く感じました。